あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても、 出場が終われば消えてしまう
全然更新してなかったら、はてなブログさんからご丁寧に「ねぇ更新しない?」とメールが来ました。ブログぐらい好き勝手に書かせてくれよ。
蜷川幸雄が死にました。私は片手で数えられるくらいしか作品を観ていない。でも心になんだか大きな穴が空いて、今日もワイドショーで告別式の映像を観て泣いた、今も泣きながら書いている。
亡くなったことが報道された日、仕事の帰り道に携帯を見ると母や演劇好きの後輩からラインが来てた。すぐに[R奈ちゃん]に電話した。
私たちは以前、ある作品の記者会見に出ていた蜷川さんの姿を見て「いよいよヤバそう、死ぬかもしれないね、どれが遺作になるか分からないから観に行かなきゃ」なんて冗談で言っていた。
[R奈ちゃん]は電話の向こう側で泣いてた。
初めて自分でチケットを買って観に行った作品は蜷川さんの舞台だった。舞台が好きになったおかげで舞台好きのお父さんとたくさんコミュニケーションを取るようになった。今までたくさんたくさん蜷川さんの舞台を観てきた。なんか信じらんない。
[R奈ちゃん]にとって蜷川はとっても大きな存在だった。
私は彼女ほどは作品を観てない。正直そこまで思い入れもないかもしれない。なのにどうしてこんなに悲しいのだろう。
いい意味で…あの方の作品は全然好みじゃなかった。とキッパリと言える演出家は他にはいないのかもしれない。キッパリと言っても「ハッ!?」と突っ掛かってくる周りの人もいなかった。好みじゃなかったから嫌いだったとかじゃなくて…なんだろ、客が好きに言ってもいいような空間というか…そういうの
— ちくわぶ。 (@ume_omusubiman) 2016年5月12日
TLを見ても、関係者の方は褒めちぎってるけど、客側は”私は苦手だったけど”という発言が意外にも多い。でも演劇ってこういうことでいいんじゃないかな。万人に受けるエンターテイメントのようなモノと演劇は必ずしも結び付くということでもない。楽しい演劇もあれば意味わかんない演劇もある。
— ちくわぶ。 (@ume_omusubiman) 2016年5月12日
このツイートで腑に落ちた。
演劇業界で、舞台を携わる者として、これだけ素晴らしいことをした人間はいるだろうか。
一流でありながら、でもこれつまんなかった~とか罪悪感なしに言える。これってなんかすごくない??
観客に好き放題言ってもらえる演劇を作れる。
私にとって蜷川は、きっと究極の憧れの存在だったんだ。
小難しくて理解できない作品もあった。ぶっちゃけミュージカルを観てるほうが楽しいと思うこともあった。でも「今日蜷川の作品観に行くの」なんて言うと観劇インテリぶれる気がして嬉しかった。贔屓にしている役者が蜷川作品に出ることが決まると世界に認められた気がして、嬉しかった。
作品うんぬん以前に、蜷川が私にうきうきをくれた。
140字足りないくらい蜷川作品観てこられたことに悔いはない。
— 纏 (@stage0910) 2016年5月12日
2005年版だったと思うけど、『天保十二年のシェイクスピア』幕間に、「いつか私の芝居を観てほしい」とかトンでも大それた妄言を吐いたくそ生意気な青二才を笑い飛ばしながら、サインしてくださった。
実現できなかった…なぁ。
蜷川は人に夢も与えてくれた。
もう生きてくれてる、それだけでいいよ…。
演劇ファンとして、一度は舞台作りを目指した者として、蜷川は私にとって本当に大きな存在だった。
なんか上手く言えないけど、でもなにか言いたくて、この気持ちをどこかに残しておきたくて、いまこれを書いている。
蜷川はもう劇場に来れない。天国にいる。
だったら私が蜷川の分まで。今後の演劇界を客席から見続けるよ…